ライツアウト

BLと夢創作が好きなオタクのブログ。

閉鎖病棟入院記録

そもそも、何故入院することになったのか書いておく。
自分は長い間、無気力な引きこもり生活をしていた。
寝ているか、デスクトップパソコンでネットを徘徊するかの日々。
そんなある日、パソコンが壊れた。何年も使っていたから、寿命だったのだと思う。

自分の中でも何かが壊れた。

元々うつ傾向が強かったけれど、本気で死にたいとは思っていなかったのだが、この日を境に自殺することばかり考えるようになった。

まずやったのは、カミソリでのリストカット
でも、思ったより全然切れない。これじゃ死ねないと思った。

次に思い付いたのは投身自殺。

自宅はマンションだから、やろうと思えばすぐに飛べる。
何度も窓から地上を眺める日々を送る。地面は遠い。確実に死ぬ。

しかし、怖くて実行出来なかった。
夢の中では飛べたのに。

仕方ないので、別の方法を考える。

そうだ、OD(オーバードーズ)しよう。
初めてだったが、驚くほど簡単に実行出来た。たくさんの処方薬を、するすると呑み込む。
服薬していると飲んではいけない酒も、飲んだ。

なんだか、ふわふわとしてくる。地面に足がついていない感じ。
ここから先は、ほとんど記憶がないが、自分は病院に運ばれたらしい。

大した量じゃなかったのか、胃洗浄はなかった。

また、あの浮遊感を味わいたいと思いながら数日。通院日がきた。そこで、自殺未遂をした自分は入院を告げられたのである。

そして、その日のうちに閉鎖病棟へ。

◆◆◆

主治医から入院するように言われた当日に病棟へ。

通されたのは4人部屋(大部屋)だった。

荷物検査があり、危険なものは取り上げられる。
カミソリとか爪切りとかハサミとか紐とか。ペンも取り上げられてしまった。

暇潰しに絵も描けない。

スマホも禁止になった。

親が入院手続きをしている間、ただ、ぼーっと硬いベッドの上に座り、天井を見ていた。

しばらくして、寝っ転がってみると枕も硬い。それに、このベッドは狭い。

後に夕食の時間になった。

自分で配膳する気にはなれず、ベッドの上にいると、看護師さんが食事を持ってきてくれた。
申し訳ない気持ちになる。

病院食は美味しくなくて、一日一食で過ごしていた自分には、とても量が多く感じた。半分も食べられない。

その後は、やることがないので薬の時間まで眠った。

消灯時間。

常夜灯が眩しくて眠れない。

けれど、眠剤をもらいに行く気力もない。

一睡もせず、朝を迎えた。

この時の自分は思考力が鈍っていたのか、まだ入院の辛さをよく考えられていなかった。

◆◆◆

入院2日目。相変わらず食事が喉を通らない。

この曜日は、入浴日だったようで、自分も風呂に入れられた。

風呂場の中にまで見張り(及び入浴介助)の人がいる。3人も。

最初は自分で頭を洗っていたのだが、よく洗えていなかったのか、途中から見かねたケアスタッフさんが洗ってくれた。ペットの犬にでもなったかのような気分だった。

その後は、病棟のレクリエーション(カラオケだのビンゴ大会だの)があったのだが、不参加。そういうことをする気には、とてもなれない。

布団を頭まで被り、眠る。

昼食も夕食も、ほとんど食べられなかった。

このようなことが数日続くと、栄養を摂るためのジュース(のようなもの)を飲まされることになった。

そんなもの飲みたくない。「嫌だ」と強く思う。

しかし、これを拒めば点滴になるだろうか?

回避するには、食べることが一番。

美味しくない。なにより、多い。特に米が多い。自宅ではこんなに大きな茶碗を使っていない。

自分は、次の食事を無理矢理に全て胃に詰め込んだ。押されたら、腹が破裂しそうだ。

けれど、これで妙なジュースは飲まずに済む。

しばらく、無理に完食を続けた。

すると、段々胃が大きくなってきたのか、並食が普通に食べられるように。

食事も治療、ということか。

この頃には配膳、下膳も自分で出来るようになったし、自分の意思で薬をもらうことも出来るようになっていた。

規則正しい生活が、自分のためになっている。そんな実感があった。

少しずつ元気になってきたので、読書を試みてみた。

休憩をとりながらだが、読める。

フィリップ・K・ディックの「フロリクス8から来た友人」が読めた。

好きな読書やゲームや映画鑑賞すら出来なくなっていた自分が、だ。

嬉しい。

入院して良かったのかもしれないと思った。

しかし、入院の真の辛さは、普通レベルに元気になってからやって来るものだったのだ。

それは、「時間がある」ということである。

◆◆◆

少し健康的になり、思考力がある状態で茫漠とした時間がある。そうなると、つまり、色々と考えてしまうということだ。

自身のことを考えてしまう。

悩み。反省。自己嫌悪。様々なことを考える。

暇な時間を生きるとは、そういうことだった。

死にたいと思ったが、この中に死ぬ手段は無い。

ふと、窓を見ると、そこから出られそうだと思った。ここは一階で、窓に鉄格子などはついていない。

しかし、窓を開けてみると、猫なら通れるだろうというくらいしか開かなかった。

当然だ。

涙が出てきた。とても久し振りのことだった。

泣くと、少しスッキリして、冷静さを取り戻す。

この病棟で希死念慮と闘うには、暇潰しが必須だろう。

自宅なら、ゲームをするという選択肢があるが、ここにはない。

まずは、読書に集中することにした。

あっという間に、SF小説四冊を読み終えてしまった。

暇は怖い。

時計の針の進みが遅い。ここの一分は、五分くらいあるように感じる。

塗り絵をしてみることにした。

意外と暇を潰せる。が、一枚で飽きた。

暇が襲って来る。

病棟内を散歩してみる。病室前のネームプレートを読んだり、窓から見える景色を見たりしてみる。

暇で人は殺せると思った。

もう最終手段を取るしかない。

睡眠。これしかない。

早く退院したいと思いながら、暇な時間に眠る日々。

健康的とは言えない。その上、主治医に人に慣れるまで退院出来ないというようなことを告げられてしまう。

つまり、病棟のレクリエーションに参加しなくてはならないということだった。

人ごみは苦手だ。自分は、沢山の人がいるところでは、人酔いしてしまう。

けれど、暇よりマシかもしれない。

意を決して参加してみると、やはりとても緊張してしまった。

しかし、これが出来ないと退院させてもらえない。

こんなところに後、何ヵ月いればいいのだろう?

早く家に帰りたい。その一心で、レクリエーションにほぼ毎回参加した。

レクリエーションは、一日一回しかないので、相変わらず暇な時間は多い。

いよいよ、共用テレビや本棚があるホールに出るしかない。

ホールには、当然人が多い。

しかし、レクリエーションで少しは慣れてきた。

ホールで、ファッション雑誌や漫画雑誌を読んで過ごすことにした。

人々のざわめきや足音などが気になったが、吐き気がするほどではなくなっている。

確実に良くなっている。そう思った。

ホールに普通に行けるようになった頃、ある人に話しかけられた。

仮に、Aさんとする。

今までは、話しかけられてもロクな返事も出来ずにいて、大層落ち込んだのだが、Aさんとは趣味が同じで話が弾んだ。

人と話せば、時間が潰せる。

私はAさんに感謝した。

それからしばらく経ち、病室の移動(いつも突然だ)があり、なんと、Aさんと同室になったのである。

やはり、暇ではあった。

Aさんと話しても、トランプをしてみても、暇な時間はなかなか消えてくれない。

しかし、「暇だね」とか「早く出所したいね」とか言い合える存在がいることは、とてもありがたかった。

人の手も借りながら暇を潰して、病棟内でなんとか生きていくと、退院の日が決まった。

刑期が終わる。自殺未遂の罪で入れられた、ここから出られる。

Aさんも喜んでくれた。嬉しい。

そうして、懲役二ヶ月半を終えたのである。

閉鎖病棟は、暇をたっぷり味わわせて、社会に出た方がマシという意識にさせるための施設だったのではないかと思うくらいに時間の流れが遅かった。

もう二度と、入りたくない。

自殺なんてしようとするのではなかった、と思うようになった。

これからは、少しずつ社会に出られるように訓練を重ねていく予定である。

挫けそうになったら、閉鎖病棟のように茫漠とした時間があるよりマシであることを思い出そうと考えている。